40歳、出産後。里帰り+アレルギー
2015/12/16
次男を出産後、実家でゆっくりしようと
思っていたのに、現実はそれほど甘くなかった・・・。
次男ヤカちゃんを産んだ産婦人科は、
産後5日目の朝には退院しなくてはなりませんでした。
と~っても残念でした。
サービスの良い産婦人科でしたので、入院中はとても快適でしたから。
退院の朝、ヤカちゃんを看護師さんに沐浴していただき、私は産後の検診をしてもらいました。
無事に退院の手続きも済み、長男シュン君の待つおばあちゃんちへ。
シュン君は5歳年下の弟、ヤカちゃんを抱っこして、「4人家族だね」と言ってくれました。
(おお、一時は「赤ちゃんがえり」をし、心配していたのに。えらいぞ!なんて素敵なお兄ちゃんなの!!
と、当時は思っていましたが、今、中学一年生になったシュン君と、小学二年生になったヤカちゃん。
現実は、毎日ケンカばかりですよ。)
実家での生活
午後には、新・4人家族で千葉県にある私の実家へ。
運の良いことに、私の母の知り合いが私立幼稚園の園長さんでしたので、
シュン君は里帰りの間の一か月間だけ、幼稚園に通うことができました。
そして私は、ゆっくり産後を過ごすつもりでした。
が、現実はなかなか厳しい・・・。
実家に里帰りしたうえに、幼稚園にも通えて楽じゃない!と思いますよね。
でも、そうでもなかったのです。
私の母は、実家の商売を長女として継いでいました。
だから、私を31歳で産んだ1週間後から仕事を始めたのが自慢の人です。
そして、その時も70歳を超えて、現役で働いていました。
娘が里帰りしても、「ずっと寝ていなさい。無理しないでね。」なんてことはないのです。
(まあ、洗濯だけは一緒にしてもらっていましたが。)
でも考えたら、70歳を超えた母には、自分の仕事に加え、産後の娘、5歳の遊び盛りの幼児、
あかちゃんがやってこられても、お世話は無理、無理 。
(高齢出産の娘の母。当然、本当の「高齢者」ですよね。)
アレルギー除去食作りも
それに加えて、長男シュン君がアトピー性皮膚炎のほかに、食物アレルギーがあり、
食事、お弁当は私が作らないとなりませんでした。
乳製品、卵、大豆製品を除去していましたので、お弁当つくりも食事も冷凍食品は使えません。
大豆にアレルギーがあると、みそ、しょうゆも他の人と違うものを使います。
乳製品、卵がだめだと、お菓子でさえ選ばないといけません。
パンも食べさせてあげたかったので、除去食パンを作れるように、
ホームベーカリーも持ってきていました。
結局、親に任せられる部分は、洗濯と、赤ちゃんの沐浴くらいでした。
次男ヤカちゃんもまだまだ、夜中に2時間おきくらいに泣き、授乳していましたから、
なかなかゆっくりと休んではいられませんでしたよ。
またまた、「もう少し若ければ・・・」と思う瞬間です。
長男の「赤ちゃんがえり」から、「わがまま」へ
そんな生活のなか、「お客さま」の長男シュン君が少しずつ「わがまま」を言うようになりました。
ヤカちゃんが生まれるまでの5年間、ママを独り占めして一人っ子のように育ってきました。
それが弟ができたことと、おじいちゃんおばあちゃんが怒らないせいでしょう。
今まで私の「いい子」と思っていたのに、わがままを言っている!
私も今までにないくらい、彼を叱りました。
この頃、シュン君は私の母である、おばあちゃんに、
「ママが一番こわい。」
「でも、悪いことしなければやさしい。」と言っています。
次男もアトピー??
結局、次男の生後一か月まで、実家で過ごしました。
その頃、おっぱいをよく飲んで大きくなってきたヤカちゃんですが、
中学生のように顔に「赤いプツプツ」が出てきました。
そして、それが日を追うごとにひどくなっていったのです。
実はこのあと、彼もアトピー性皮膚炎だったことがわかります。
そして、離乳食が始まってからは、乳製品、卵、小麦に食物アレルギーがあることがわかりました。
ああ、次男もだ・・・。(妊娠中、気をつけていたのに・・・。)
”♬めぐる~、め~ぐる~よ、アレルギーは、めぐる~”
(中島みゆき、「時代」の曲でどうぞ。)
きょうの一句
高齢の ママもやっぱり 高齢ね
(高齢出産ママのお母様、当然、ご高齢になってらっしゃいますよね。あまり無理はさせられません。)
このあと、次男ヤカちゃんが生後4か月の時、奇跡が起こります。
まだまだ終わらない高齢妊婦。ウフフ( ̄∇ ̄;)
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「妊娠履歴・4回目(41歳)」は、こちらからどうぞ。