35歳・1人目。おっぱいとの闘い(その2)
2015/12/16
「わたしは牛になりたい」と思った翌日です。
今思えば、そんなに気負わなくてもよかったのに、と思えるのですが、
やはり、何もかもが初めて。
「とにかく、よくわからない!でも、頑張る」、の毎日だったような気がします。
母子同室、3日目。
その日も、ミルクは与えず、おっぱいだけで頑張ります。
そのせいで、減ってしまったシュン君の体重・・・。
看護師さんたちは、そんな私を励ましてくれました。
きっと、こういうことはよくあることなんだ、と思うことにしました。(結構、単純です。)
シュン君も疲れてきているせいか、前日の夜から、1時間から2時間ほど(だけだけれど)
まとめて寝てくれるようになりました。
その日も、15分おっぱいしたら、1時間寝る。
起きたら15分おっぱい、そして1時間寝る、を朝から繰り返します。
午後4時。
おっぱいを飲む前の体重から、飲んだ後、40グラムも体重が増えていました。
「あ~、おっぱい出てるんだあ!」
やっと、自分のおっぱいが出ている確信を得た瞬間です。
その夜、20分かけておっぱいをあげたら、
午後8時から深夜12時まで、4時間も寝てくれました。
睡眠最長記録です!(たった4時間だけど)。
この日、おっぱいは8回あげました。
もう退院なのに、私ってダメダメママ?
翌日。
今日はもう退院の日。
私は、睡眠不足でげっそり😨疲れていました。
でも、おっぱいが張ってきた感覚がでてきたのです!
とうとう、私の体が動き出した~。
(反応、遅いぞ!!これも歳のせいか。)
おっぱいをあげた後に、順調に40グラムほど体重が増加し始めました。
そしてそのあと、満足そうな顔をして眠るシュン君。
「良かった。
これならやっていけるかも 😆 。」
退院前に、一人で沐浴させることに。
毎日、何人も沐浴させている看護師さんや助産師さんと違い、
生まれてはじめて沐浴させる私。
その間中、ずっとシュン君に、泣かれっぱなしでした。
「ごめんね。この下手くそなのが、あなたのママです。許してください。」
またまた、自信を失うわたし。
それでも、
入院中に、とにかくいろいろと教えてもらいました。
毎日が学びでした。
お母さんって、「なるもの」でなく、あかちゃんに、「してもらう」ものなんですね。
おしっこ、ウンチの後の泣き方と、おなかがすいた時の泣き方も、
微妙に違うことがわかるようになりました。
この日もおっぱい、8回あげました。
おっぱいが出~る~!
「おっぱいとの闘い」ですが、
母乳は退院してから、日を追うごとに「いっぱい」出るようになりました。
生後1か月のころは、1日10回くらい授乳しました。
その後、数か月もすると、
おっぱいをあげればあげるほど、母乳の出がよくなりました。
シュン君の泣き声を聞くだけで、勝手におっぱいが噴き出すように。
(本当に噴水のように出ました。)
出が良すぎて、シュン君がむせることも。
「ああ、わたしはやっと牛に近づけたかも・・・。」
シュン君とわたしの、おっぱいとの闘いは終わりを告げたようでした。
しかし、その後、
乳首が切れたり、おっぱいが張って痛くなったりと、「暴れる乳房」との闘いは続きましたけれど。
しかも、シュン君の顔に赤い湿疹が出ていました。
アトピー性皮膚炎だとわかりました。
♪悩みは続くよ~、ど~こまでも~♬
(「線路はつづくよ、どこまでも」の曲で、どうぞ。)
(このあと、転勤もします。続きは「長男のアトピー、アレルギー、そして滋賀県へ」・・・。)
きょうの一句
手がかかる だから手をかけ ますます愛す
(「手がかかった子ほどかわいい」、ってよく聞きませんか?小さいうちはいっぱい愛してあげましょう。
子どもはあっという間に、離れてしまいます。シュン君も、もう中学一年生。私に内緒ごとが増えるばかりなのですから。)
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