40歳妊婦(2人目妊娠)。高齢妊婦と育児
2015/12/16
幸運にも2人目の妊娠することができたのが、40歳。また高齢出産になります。
高齢出産そのものも大変ですが、「高齢妊婦」としての生活も決して楽ではありませんね。
幼稚園児との生活
当時、長男のシュン君は幼稚園の年中さん。4歳でした。
幼稚園バスが近所まで来てくれましたので、送迎は楽でした。
しかし、幼稚園バスを降りてから目の前にある公園で遊ぶのが日課!
同じバス停のお友達たちと、毎日5時まで遊びました。毎日2時間強 😯
まあ、他のママ達とおしゃべりして待っているわけですが、横にはなれないですからね~。
そう言えば、長男の通った幼稚園はPTA活動がとても活発で、
土曜日はPTA(母親)主体のイベントが毎月あったし、
子どもたちの毎月の誕生会も、お誕生月の子の母親たちで企画し、披露する、といった園でした。
シュン君は8月生まれでしたので、10月出産予定の私は大きなお腹で、
おかあさんといっしょの『ぼよよん行進曲』を「♬ぼよよよ~んとそらへ~」と唄い、踊りましたよ。
英語教室へ通い始めたシュン君を自転車で送り迎えもしていました。
でも、さすがに40歳。車も人通りも多い道で転んだら大変!
大きなお腹で転んだら、乗せている長男も、お腹のあかちゃんにも危険なので、
妊娠後期は車を運転しました。
辛かったのは、住んでいたマンションが、4階建てで、「エレベーター無し( ノД`)…」。
買い物の荷物を両手に持ち、大きなお腹で4階まで登るのはなかなかの運動でした。
生協さんに助けられる
そんなこともあって、日々の買い物はできるだけ(特に重いもの。お米、水など)は、生協の個配を利用しました。
10年以上続けているのは、「パルシステム」さん。牛さんマークでおなじみかな。
他の生協さんより早くからアレルギー表示があったのが選んだ理由です。
あかちゃん用のカタログもあって、冷凍の離乳食があったり、月齢ごとに食べられるものが選べたりと、お疲れママには大助かり。
アレルギーの子ども用には「ぷれーんぺーじ」というカタログもあります。こちらも、とってもお世話になりました。
長期休みは、いらな~い!
当時の日記を読み返すのですが、妊娠7か月くらいから書けない日がちらほら。
考えてみたら、それもそのはず、その期間は幼稚園の夏休み!
7月には半日!で終わってしまう日が始まり、7月中旬からほぼ1か月半、夏休みです!
朝からずっと居るのね~、あなた。疲れるはずだわ。
自分がまだ学生だった頃、あんなに楽しみだった夏休み、冬休み、春休みなどの、長期休暇。
母親にとっては、「魔の期間」になってしまいましたね。
休み明けの初日。「やった~!\(^_^)/」と毎回心の中で叫んでおります。
もう妊娠8か月、9か月にもなると、夕方にはぐったりです。
だんなのトドさんは春の異動で忙しい部署に変わり、平日も週末もあてにならず・・・。
それでも、時々行く検診では、少しずつ成長していくあかちゃんのエコー画像を見て、ニンマリ 😆 。
貧血ぎみでしたが、どうにか頑張りました。
赤ちゃんがえり
出産後、私がしばらく入院すると知って、長男シュン君に泣かれました。
「あかちゃん、もうこれ以上いらないっ」って言って。
ああ、あなたも「あかちゃん」の数に入っているのね 。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言ってなだめました。
その後も、出産前から「赤ちゃんがえり」気味に。
少し心配もありましたが、時期的に、幼稚園の「運動会」、「芋ほり遠足」、
シュン君の「七五三」とイベントめじろ押しで気がまぎれたのか(みんながかまってくれるからか)、
その後はひどくなりませんでした。
私のほうは、「ああ、とにかく秋のイベントが全部終われば、いつでも生まれていいからね👌」、
と重いお腹で乗り越えました。
秋のイベントも終わり、出産1週間前から、夜になるとお腹が「張り」だしました。
ちょっと、キュッ~ッツ 😯 と固くなる感じです。そろそろかなあ。もういつでもいいよ。
冷蔵庫の中身を整理し始めたのも、このころ。入院したら、しばらく家を空けますからね。
そして、とうとうその日が来ました・・・。
(「40歳、2回目の『高齢出産』。」は、こちらからどうぞ。)
きょうの一首
あかちゃんが 生まれたからって お兄ちゃん?
そんなのずるいよ まだやだよ
(もう4歳。でも「まだ」4歳。急にお兄ちゃんになれって言われても困るよね。
でも、次男は弱冠1歳2か月で「お兄ちゃん」になりました。)
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